気づき

すべての次元は自分の内側にある


最近の気づき。

目指すべき次元も、去らなければいけない次元もない、ということ。
なぜなら、全ては自分の中にすでに展開しているから。

実は、前から違和感があったことがあって、
それは、軽い波動が「正解の方向」になっている感覚。

慈愛、優しさ、調和、平和、、、それが「正しさ」になっている雰囲気。

なんかしっくりきていなかった。

でもそれは、
きっと自分が重たい波動の経験をし過ぎていて、
闇にひっぱられているからかも、
とか、
自分は心がきれいじゃないから
そう思うんだろうな、って思っていた。

でも、ふと気づいた。

慈愛、優しさ、調和、、、を正解と思っている人達も、
逆に、争い、憎しみ、略奪、、、をOKとしている人達も、

ただ単に、その領域(視点)から世界を見ているというだけなんだと。

そして、その2つはどちらも私の中に存在している。

そして、私の中にはそのどちらでもない、
「今ここ」に全部があるという視点もある。
(ここが最近体感として腑に落ちはじめた)


起こった過去も、起きている現在も、起こるであろう未来も、
慈愛、調和、憎しみ、争いも全部が今この瞬間にある。
だから、何者かになる必要も、正解も、目指すべき位置もない。
ただ、体験しているだけ、という視点。

人間的な劣等感とか自己否定やうらやんだりという色眼鏡(視点、次元)をかけたり、
愛、調和、思いやりという愛を広げたいという色眼鏡(視点、次元)をかけたり、
全体としての部分の自分として今ここに全てあるという色眼鏡(視点、次元)をかけたり、

どの色眼鏡をかけるかで、条件を設定するとも言い換えることもできるけど、
YESはNOにもなりえるし、その逆もしかり。

私は、全部がある自分を楽しみたい。

自分のサロンでは、
調和、安心感といった自分を表現したいし、

だからといって、地球の波動を軽くするということが重くすることよりすぐれているわけでも
正しいわけでもないと思うし、
宇宙のリズムは拡大収縮を繰り返し、拡大だけでは存在しえないわけで、
このフェーズという条件下では「正しい」という見方もできるけれど。
人間味が強い私は、他人の目線を気にしたり、
私ってすごいでしょ!って思われたいという気持ちも
あるし、

その全部がわたし。
今ここにある全部を自分として体験する。
世界を色々な色眼鏡を通して見たら、
その景色や感覚は全然違うもので、答えも違う。
沢山の選択肢の中から自分はこれ!って選べたら
本当の「自由」だね。
そして、違う答えを持つ人へのリスペクトも生まれるね。

これは私がわたしを体験するための必要なプロセスであり、
あるものの側面を私というフィルターでの解釈ですが、

だけど、また一つ
自分でOK!になれた最近の私の気づきでした。

文章での表現はあまり得意ではなくて、
ニュアンスがちょっと違ったり伝えきれない部分もあるので、
できる方はエネルギーで読んでみてください。